南 方 録    覚書

宗易、ある時、集雲庵にて茶湯物語ありしに、茶湯は台子を根本とすること   なれども、心の至る所は草の小座敷にしくことなしと、常常の給ふは、いか   様の子細か候と申。宗易の云、小座敷の茶の湯は、第一仏法を以て、修行得道     する事なり。家居の結構、食事の珍味を楽とするは俗世の事なり。家はもらぬ   ほど、食事は飢ぬほどにてたる事なり。これ仏の教、茶の湯の本意なり。水を   運び、薪をとり、湯をわかし、茶をたてて、仏にそなへ人にもほどこし、吾も   のむ。花をたて香をたく。みなみな仏祖の行ひのあとを学ぶなり。なを委しくは、   己僧の明めにあるべしとの給ふ。
宗易へ茶に参れば、必、手水鉢の水を自身手桶にてはこび入らるるほどに、 子細を問候へば、易のいわく、露地にて亭主の初の所作に水を運び、客も初の所作に 手水をつかふ。これ露地草庵の大本なり。この露地に問ひ問はるる人。たがひに 世塵のけがれをすすぐ為の手水ばちなり。寒中にはその寒をいとはず汲みはこび 暑気には清涼を催し、ともに皆奔走の一つなり。いつ入れたりともしれぬ水ここ ろよからず。客の目の前にていかにもいさ清く入れてよし。但、宗及の手水鉢の ごとく、腰掛につきてあらば客来前考へて入べし。常のごとく露地の中にあるか 玄関ひさしにつきてあるは、腰かけに客入て後、亭主水をはこび入べし。それゆ へにこそ、紹鴎己来手水鉢のためは、小手桶一つの水にて、ぞろりとこぼるる ほどの大さに切たるがよきと申なりと答へられし。
宗易の物がたりに、珠光の弟子、宗陳、宗悟と云人あり。 紹鴎はこの二人に茶湯 稽古修行ありしなり。宗易の師匠は紹鴎一人にてはなし。 能阿弥の小性に右京と云しもの、壮年の時、能阿弥に茶の指南を得たりしが、 後は世をすて人になりて堺に居住し、空海と申けるに、同所に道陳とて隠者あり。 常々心安くかたりて、茶道を委く道陳に伝授ありしとなり。また道陳と紹鴎、 別して間よかりければ、互に茶の吟味どもありしなり。宗易は与四朗とて十七歳の時より専茶をこのみ、 かの道陳にけいこせらる。道陳の引合にて紹鴎の弟子になられしなり。台子、書 院などは大方道陳に聞れしなり。小座敷のことどもは専 宗易のくみたて、紹鴎 相談の子細なる由語申されしなり。この集雲庵開基妓翁は、初、一休和尚に参禅し、 中比は間あしくなられしを、人人の取あつかひにてまた帰門せられしなり。 中比までは集雲庵と申けるを、一休名を改よとて、南方とかへらるる。その後 この庵をこしらへて、集雲庵とも、南坊とも、妓翁とも申けり。紹鴎と間よかりければ、 平生茶話楽とせられしなり。愚僧も二代の庵主 、南の坊と申て、茶修行のみの隠者、大笑大笑。
客亭主、互の心もち、いかやうに得心してしかるべきやと問。易の云、いかにも 互の心にかなふがよし。しかれどもかないたがるはあしし。得道の客亭主なれば、 をのずからこころよきものなり。未煉の人互に心 にかなはうとのみすれば、 一方道にちがへばともどもにあやまちするなり。さればこそ、かなふはよし、かないたがるはあしし。 
露地に水うつ事、大凡に心得べからず。茶の湯の肝要、ただこの三炭、三露にあり。 能々功者ならでは、会 ごとに思ふやうに成がたきなり。大概をいはば、客露地入の前一度、 中立の前一度、会すみて客たたるる時分一度、都合三度なり。 朝、昼、夜、三度の水すべて意味ふかき事と心得べし。後の水を立水といふ。 宗及などは、立水心得がたし、何ぞや客をいねといふやうにあしらふ、これいか がと申されしよし、伝聞。易へ尋申候へば、それ大に本意のちがひなり。惣じてわびの茶の湯、 大てい初終の仕廻、二時に過べからず。二時を過れば、朝会は昼刻にさはり、 昼会は夜会にさはるなり。その上、このわび小座敷に、平ぶるまひ、遊興のもてなしのやうに 便々 と居る作法にてなし。後のうすちゃすむ時分、水をうたすべし。 わびてい主こひ茶のみか、うすちゃまで仕廻て、また何事をかいたすべき。 客も長物がたりやめて帰らるる事尤なり。その帰時分なるゆへ、露地をあらため、 疎略なきやうに手水鉢にもまた水をたたへ、草木にも水をうちなどすべし。 客もそのほどを考へて立たるるなり。亭主露地口まで打送りて暇乞申べきなりと申されし。
露地の出入は、客も亭主もげたをはくこと、紹鴎の定めなり。草木の露ふかき所 往来するゆへ、かくの如し。互にくつの音、功者不功者 をききしると云云。 かしがましくなきやうに、またさしあしするやうにもなくて、をだやかに無心なるが功者としるべし。 得心の人ならで批判しがたし。宗易このみにて、この比草履のうらに皮をあて、せきだとて、 当津今市町 にてつくらせ、露地に用らるる。 この事を問申たれば、易の云、げたはくこと今更あしきにはあらず候へども、鴎 の茶にも、易ともに三人ならで、げたを踏む得たるものなしと鴎もいはれしなり。 今、京、堺、奈良にかけて、数十人のすき者あれども、げたをはく功者、わ僧ともに 五人ならでなし。これいつもゆびを折ことなり。されば得道したる衆は云に 及ばざることなり。得心なき衆は、先先せきだをはきて玉はれかし。亭坊別して かしましさの物ずきなりと笑はれし。
小座敷の花は、かならず一色を一枝か二枝かろくいけたるがよし。勿論花により    てふさふさといけたるもよけれど、本意は景気をのみ好む心いやなり。四畳半にも成ては、 花により二色もゆるすべしとぞ。
花生にいけぬ花、狂歌に
   〈花入に入ざる花はちんんちやうげ
     太山しきみにけいとうの花
   〈女郎花ざくろかうほね金銭花
    せんれい花をも嫌なりけり
夜会に花を嫌ふこと古来の事なりしを、紹鴎、宗易吟味のうへ、夜会にも花によ りていけ申に極りしなり。凡色の花はいけず。白き花苦しからず。そのいけ申花品々その外、 燈花といふ事、口伝殊勝の故実なり。燈花を称する事は、専祝儀にも心ある事なり。
或人、炉と風炉、夏冬茶湯の心持、極意を承たきと宗易に問れしに、易こたへに、 夏はいかにも涼しきやうに、冬はいかにもあたたかなるやうに、炭は湯のわくやうに、 茶は服のよきやうに、これにて秘事はすみ候由申されしに、問人不興して、 それは誰も合点の前にて候といはれければ、また易の云、さあらば右の心にかな ふやうにして御覧ぜよ。宗易客にまいり御弟子になるべしと申されける。同座に 笑嶺和尚御座ありしが、宗易の申されやう至極せり。かの諸悪莫作諸善奉行と、 鳥かのこたへられたる同然ぞとの玉ひしなり。
十一
暁の火あいとて大事にす。これ三炭の大秘事なり。易の云、暁の湯相なればとて、 宵より湯をわかす人あり。一向左様にてはなし。鳥啼て起て炉中改め、下火を入、 一炭して、さて井のもとへ行て清水をくみ、水やに持参 し、釜をあらひ水をたたへ、 炉にかくる。これ毎暁茶室の法なり。この火相湯相を考へて客も露地入するなり。 客により思の外早く入て、初の下火の炭、ぬれ釜よりのはたらきを見るもあり。 主客ともに暁の次第、大凡にては成がたし。
十二 惣じて朝、昼、夜ともに、茶の水は暁汲たるを用るなり。これ茶の湯者の心がけにて、 暁より夜までの茶の水 絶ぬやうに用意することなり。夜会とて、ひる己後の水これを用ひず。 晩景半夜までは陰分にて、水気沈みて毒あり。暁の水は陽分の初にて清気うかぶ。 井華水なり。茶に対して大切の水なれば、茶人の用心肝要なり。
十三 易云、暁会、夜会、腰掛に行燈を置べし。亭主も手燈籠にて戸口まで出て、一礼 し立かへるがよし。手燭持出る人もあれども、風ふく夜など別して難儀のものなり。 ことに殊勝げなくあざやか過てあしし。
十四 易云、雪の会は何とぞ足あと多くならぬやうに心得べし。とび石のうへばかり水 にてそそとけすべし。手水鉢の水は入ずしてはかなはぬ事なれば、見よきやうに 水をかけてけすべし。但、手水鉢の石、またはその辺の木どもに、景気おもしろ く降つみたるには、そのまま置て、手水は腰掛に片口にて出すもよし。
十五 雪の夜会には露地の燈籠は凡とぼすべからず。雪の白きにうばはれて見所なく光うすし。 但、露地の木だち様子によりて一向にも云がたし。
十六 深三畳と長四畳、根元を分別すべし。図にて明らかなり。深三畳は道具畳向の方、 一尺五寸 切てその分板 にし、板のうへに風炉、水指、杓立、こぼしなど置きしは、 深三畳初りし古の事なり。茶入茶椀はこび出て立しなり。その後向炉を切事に成ては、 この板の前につけて、一尺四寸の炉を切しなり。 夏は板のうへに土風炉をも後には置しなり。長四畳は、道具畳の向に五寸板を入てよし。 三寸まで苦しからず。台子のカネわりよく分別すべし。 
十七 小座敷の道具は、よろず事たらぬがよし。少の損じも嫌ふ人あり。一向不得心の事なり。 今やきなどのわれひびきたるは用ひがたし。唐の茶入などやうのしかるべき道具は、 うるしつぎしても一段用ひ来り候なり。さてまた道具の取合と申すは、今焼茶碗と、唐の茶入、 かくの如く心得べし。珠光の時はいまだ物ごと結構にありしだに、 秘蔵の井土茶碗袋に入て天目同前にあしらはるるには、かならずなつめ今焼などの茶入を出されしとなり。
十八 名物のかけ物所持の輩は、床の心得あり。横物にて上下つまりたらば、床の天井を下げ、 堅物にてあまるほどならば天井をあげてよし。別のかけ物の時あしき事少もいとふべからず。 秘蔵名物にさへ恰好よけれべよきなり。絵には右絵左絵あり。座敷のむきによりて、床のつけやう心得て作事すべし
十九 掛物ほど第一の道具はなし。客亭主共に茶の湯三昧の一心得道の物なり。墨跡を第一とす。その文句の心をうやまひ、 筆者道人祖師の徳を賞翫するなり。俗筆の物はかくる事なきなり。されども歌人の道歌など書たるを掛る事あり。 四畳半にも成てはまた一向の草庵とは心もち違ふ。能々分別すべし。仏語祖語と、筆者の徳と、かね用るを第一とし、 重宝の一軸なり。また筆者は大徳といふにはあらねども、仏語祖語を用てかくるを第二とす。絵も筆者によりて掛るなり。 唐僧の絵 に仏祖の像人形絵多し。人によりて持仏堂のやうなりとてかけぬ人あり、一向の事なり。一段 賞玩してかくべし。 帰依あるべき事、別してなりと、易の給ふ。
二十 小座敷の料理は汁一つさい二か三つか、酒もかろくすべし。わび座敷の料理だて不相応なり。 勿論取合のこくうすきことは茶の湯同前の心得なり。
二一 飯台はつくえのごとくして二人三人四人も台一つにて食する、これ禅林日用の作法なり。 しかるを紹鴎、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、折々飯台を出されしなり。 一畳台目などはあまりにせばきゆへ出し入れ成がたし。二畳三畳四畳、別して四畳半によし。 茶立口の外に今一つ口ある座席ならでは、茶立口よりは出し入れ好まざることなり。亭主先台へかかへ出し、ふきんにて清め、 さて食の椀に、もつその飯を入れ、蓋をし、下に汁の椀をかさね、かくの如く客の数次第、引盆にならべはこび出て台の上に上げ、 汁は汁次にて出す。さいも、鍋にても、また鉢にても出す。その品次第の見合なり。酒は一、二返にてすむべし。 食椀の蓋にしたるものにてのむなり。客の喰やう別してきれいに喰べし。惣じて飯台の料理は、こと更かろくすることなり。 汁一つ菜一つ、強て二つ、茶うけの物なども出さざるもよし。また一様は、食椀、汁わん、蓋、この三つを、 いめい青染のもめんふぃくさにつつみて出し、もつそは寺にてのごとく、はちに入て運び出し、亭主めいめい客へくばる。 客も椀を出してうくる仕やうもあり。勿論飯台は魚肉料理の時のことにてはなし。書入;椀のふた一つ二つも、 さいの様子次第出すべし。
二二 葉茶壷小座鋪にもかざることあり。大方口切の時のことなり。初入にかけ物かけて前にかざるべし。 小座鋪にてのかざりは、口ををひ、口緒までにてよし。自然に、長緒などむすぶとも、やすやすと目にたたぬやうにすべし。 さまざま、ようがましきむすび形など、物しりがほにてあしし。網は凡小座鋪にてはかけぬなれども、 口切にてなき時は壷によりかくるも苦しからず。
二三 捨壷といふ事あり。小嶋屋道察に真壷を求られしに、その比、沙汰あるほど見事のつぼにて、人々見物の所望ありしに、 名もなきつぼかざる事いかがとて、卑下して出されず。ある時、客衆常の会の約束にて参られ、腰かけより人を以て、 今日我等ども参候事、第一壷一覧大望ゆへなり。御つぼかざられず候はば入まじきよし申し入れらる。 道察拠なく、にじり上りの脇の方に口覆ばかりしてころがしおき、むかひに出られたり。 客くぐりを開て見るに、脇につぼをこかし置たり。床へ御かざり候へと申入しに、道察出て、 重々御所望候故、出しては候へども、床へ上げ申すべき壷にても候はず。せめて御通りがけにと存、捨置申候。 そのまま御覧候へとの挨拶なり。しかれどもいくたびも断にてついに一覧ののち床にかざれしとなり。 この壷則小嶋屋の時雨と後には名を得たり。この所作を人々感じ、捨つぼとてはやりたる事なり。 宗易云、尤時にとりては左様のはたらきもあるべき事なれども、只所望の上、壷を出すほどならば、 床にかざりたらんはおとなしき所作なるべし。捨壷むつかしき事なり。勿論またまねてなどすべき事にあらずと云々。
二四 風炉にて炭、所望して見る事なし。次第事すみて、灰のあしらい火の移を見るはさもあるべし。
二五 つるべはつくばひて下にをき、その所をうごかさず、扨また後まで置付てよし。客立て後取入べきなり。 口伝、所作ども多し。
二六 真の手桶は手を横に置、つるべは手を堅にをけと云人あり。また手桶の手は堅に、つるべは横と云人もあり。 易は二つともに横にをくがよしとの玉ふ。たてに置ては第一手につかへて柄杓はこびがたし。 それもとかく定りて堅に置べき法の物は力及ばず候へども、定法はなきものなれば、所作の仕よきがよきなり。 手桶は炉ばかりに用べし。風炉には努々用べからず。つるべは四季ともに用る。第一口切、朝会などによし。
二七 不事の会にはいかにも秘蔵の道具など、一色も二色も出し、所作、真にすべし。心は草がよし。口伝。
二八 小座敷の花入は、竹の筒、籠、ふくべなどよし。かねの物は、凡、四畳半によし。小座敷にも自然には用らる。
二九 めんつのこぼし、とじ目を前にせよ、引切の蓋置も目を前にせよと、易はの玉ふ。また道安は、 とじ目も蓋置の目も客付にせよとなり。いかやふに決定すべきかと問候へば、易云、惣じて道具だたみにても棚にても、 道具をかざりをくにも、炭をつぎ茶を立るにも、道具を我身に対することなり。置合たる道具も、客に見する為にあらず。 まして所作の内に客付に見するやうに取あつかふことゆめゆめあるべからず。さらば茶入も横より客の見るやうにをくべきや。 こはれて見物に出す時は、客に対し面をむけて出すこと勿論なり。かやうのこと心得の第一なり。 ことに蓋置は、能阿見の臨済を置て茶立られしにも、印の文字、我よむやうにして、柄杓のえにつけよとそ伝授承候ひし。 生類なども同前なり。竹の目を客の方へむかゆるならば、印の蓋置も客のよむやうに置べきや。 かたがた違逆のことなり。めんつも目を我前にして本意なるべしと申されし。
三十 せい高き茶入は袋を下へ、ひきき茶入は茶入をうえへ。
三一 野がけ、狩場などにて茶会を催ことあり。宗易、大善寺にて御茶上られしには、愚僧も供して勝手を仕しゆへ、 よくよく所作を見申候なり。宗易の玉ふは、野がけなどは定りたる法なけれども、根元の格は一々そなはらずしてなりがたし。 第 一景気にうばはれて茶会しまぬものなり。別して客の心も、とまるやうにする本意なり。 それ故、道具も別して秘蔵の茶入などよし。大善寺山にては、尻ぶくら茶箱に仕込れしなり。能々勘弁すべし。 器物 などは水すすぎてさはやかにするを第一とす。興を催し過候へば雑席のやうになり、 うとうとしなけれ景気にうばはるるなり。よくよく功者の所作ならでは成がたし。
三二 野がけは、就中その土地のいさぎよき所にてすべし。大方松陰、河辺、芝生などしかるべし。 主客の心も清浄潔白を第一とす。しかればこの時ばかり清浄にするにあらず。茶一道、もとより得道の所、 濁なく出離の人にあらずしては成がたかるべし。未熟の人の野がけふすべ茶の湯は、まねをするまでのことなり。 手わざ諸具ともに定法なし。定法なきがゆへに、定法、大法あり。その子細は只々一心得道の取をこない、 形の外のわざなるゆへ、なまじいの茶入かまいてかまいて無用なり。天然と取行ふべき時を知べし
三三 紹鴎、わび茶の湯の心は、新古今集の中、定家朝臣の歌に
   〈見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ
この歌の心にてこそあれと申されしとなり。花紅葉は即書院台子の結構にたとへたり。 その花もみじをつくずくとながめ来りて見れば、無一物の境界、浦のとまやなり。花紅葉をしらぬ人の、 初よりとま屋にはすまれぬぞ。ながめながめてこそ、とまやのさびすましたる所は見立たれ。 これ茶の本心なりといはれしなり。また宗易、今一首見出したりとて、常に二首を書付、信ぜられしなり。 同集、家隆の歌に
   〈花をのみ待らん人に山ざとの
    雪間の草の春を見せばや
これまた相加へて得心すべし。世上の人々そこの山かしこの森の花が、いついつさくべきかと、あけ暮外にもとめて、 かの花紅葉も我心にある事をしらず。只目に見ゆる色ばかりを楽むなり。山里は浦のとまやも同前のさびた住居なり。 去年一とせの花も紅葉も、ことごとく雪が埋み尽して、何もなき山里に成て、さびすましたまでは浦のとまや同意なり。 さてまたかの無一物の所より、をのずから感をもよほすやうなる所作が、天然とはずれはずれにあるは、 うずみ尽したる雪の、春に成て陽気をむかへ、雪間のところどころに、いかにも青やかなる草が、 ほつほつと二葉三葉もへ出たるごとく、力を加へずに真なる所のある道理にとられしなり。歌道の心は子細もあるべけれども、 この両首は紹鴎、利休茶の道にとり用ひらるる心入を聞覚候てしるしをく事なり。 かやうに道に心ざしふかくさまざまの上にて得道ありし事、愚僧等が及ぶべきにあらず。 まことに尊ぶべくありがたき道人、茶の道かとをもへば、即、祖師仏の悟道なり。殊勝々々。

  右覚書、心得相違も候はば仰せ聞かせられたく候。御物語 承 候度々に書付置候へども、 愚僧の得心不成就に候故、雲泥の事候半歟。殊に書様疎略に候。書改候もまた不本意存候故、このままこれを進め候。かしく
    十一月五日      南坊  (在判)
     宗易師公   几右
 
     (利休自筆)

   右数々の雑談、御書留に成候て後悔の事歟。併、相違の所存これ無く候。 同じくは反古張に成候へかし。かしく
      宗易  (在判)

       南坊  案下

三四 南方録の本書は、南坊宗啓師自筆に利休居士奥書判等これ有る正本なり。その内 滅後一巻のみ利休の判等これ無し。居士滅後に書する故なり。いずれも巻物、 反古渋紙の表紙、竹軸、もめんの平緒あり。
三五 全部七巻の内、貞享三年五巻、元禄三年二巻、書写の次第等、滅後の巻末に都て記す。
三六 平がな片かな相交はることも本書の如し。その外朱点等本書の如し。
三七 紫墨は書写の時書加る分、本書に紛れざる為なり。
三八 同前の義故、七巻一々には紫墨の奥書を加えず。 この覚書ならびに滅後の巻末を見てすべてこれを察すべし。
三九 家本とあるは、実山かの本書を書写し持所の本の義なり。この全部七冊は寧拙庵主の書写なり。
四十 本書総名なし。喫茶南方録とは宗福の古外禅師称号し玉ふなり。その事略す。

   右家本を以て校合相違無きものなり
     宝永二乙酉蝋月日          実山 (朱印)